皆さん、お空の状況はいかがですか?
わたしの空の上には、まだまだ雲がモクモクしてます♡
でも、心は晴れてんなぁ!って感じです。
なぜなら、頑固なわたしが随分ゆるんでることを確認してるから。
わたしって昔っから、「わたしはこう!」という、頭が硬くて頑固で、逆に言えば意志が強くて、自分というものを持っていて、
こう!と決めたら、こう!でしかいられなかった。
今でもそれは、すごく強くあったりもするんだけど、でもね、"こう!"じゃなくてもいいな〜!って思えてもいるんだ。
きっとさ、「わたしはこう!」で上手くいってきた人達は、「わたしはこう!」というのを、強くつよく主張できてきたと思う。
それで、「わたしはこう!」が弱い人を動かせてきたとも思う。
これまでの人生を振り返って、わたしはそうだったな〜!
でもね、もうそんなの、わたしはすごく退屈になってて、
「わたしはこう!」で、満たされてきたもの以上のものに、
「わたしはこう!」がある限り、
出逢えないんじゃないかって、行き止まりを感じたんだ。
今は、「わたしはこう!」と言いたがるわたしがいる時ほど、一歩引いて、主張しているわたしの、その中にある人間不信を見てるんだ。
頑固は、人間不信からきてるね。
この人間不信のもっと奥には、強さの逆の弱さがあって、そのさらに奥には、自分も人も、愛であって欲しいと願ってる。
愛と逆にあるのは疑い。
なぜ、自分を疑ってるのかって、自分が迷惑だと、感じた痛みがあるから。
なぜ、人を疑ってるのかって、妄想があるから。
自分は嫌われてるんじゃないかとか、自分のことを受け止めてもらえないんじゃないかって、怖さを持ってる。
その妄想が動いてる時は、自分の正当性を主張したくなる。
自分を守りたいから、余計に自分のことを強く主張したくなる。
「あなたはそうかもしれないけどね!」なんて、外側をバッサリと切り落としながら。
でもさ、実は切り落としてるのは、【自分の世界を信じること】なんじゃないかな?それが分かってきたんだ。
守れてるのは、抱えてるその傷そのもの。
感受性を治癒していくのが目的な胸ケア。
日々の中にある、自分を守ってくために、バッサリ切り捨ててる外側と共に失っている世界への信頼。
世界への信頼を失うと、愛ではなく憎しみと繋がっちゃうから、
絶望から希望へと昇ってくように、愛はこっちだよ!って、繋がりなおせる施術者であれるように、心を研ぎ澄ませてる。
正義を歌う愛の戦士にも、
バッサリ切られそうな大人な笑みにも、
さよならを告げてる。
それは、まぎれもなく、過去のわたしだったからね!
バッサリ切りたくなる胸の疼きは、自分の中にある妄想を書き出して、傍観してる。
なんでもひとりで答えを出そうとする決断は、皆んなの中にある視点と角度を、教えてくださいとお願いしてる。
頭に置いてた意識は、気持ちいい音楽に浸って、胸に移動させてる。
胸を光で満たすの、松果体が開くタイミングと共に。
これを自在に扱えたら、最高の施術ができるだろうと試みてる!
楽しみにしててねーん!
